2009年06月08日

国境なき医師団にクリック!

フランス発祥の非営利団体(NPO)「国境なき医師団Médecins Sans Frontières(メドサン・サン・フロンティエール)」。略称 MSF。 

フランス人はいろいろ独創的なものを作るけど、これもそのひとつでしょう。

1971年、フランス人医師のグループによって作られた非営利の医療・人道援助団体。

1996年にはインディラ・ガンディー賞受賞。1999年ノーベル平和賞受賞している。

賃貸住宅情報サービス「CHINTAI」がクリック募金→国境なき医師団に寄付

だからこの記事読んだ人は、ここをあけてクリックしてください。
http://www.chintai.net/contribution/index.html

たまたまこのクリック募金のサイト見つけたので書きました。

国境なき医師団について『ウィキペディア(Wikipedia)』

国境なき医師団日本支部




posted by マダム・エスカルゴ at 00:00 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランスから世界を見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

12歳少女の伝説のスピーチ

severn.jpgこのメッセージにとても心打たれたので、掲載します。下に、YouTubeにあったビデオ追加しました。

このスピーチから15年近く経った今、ここに書かれている現状は改善されたのかというと、全くそうではなくて、むしろ悪くなっているということに気づきました。ショックです。何かしなくちゃいけませんね。。何か行動しないと。。大変なことになりますよね。ということで、少しでもこのスピーチを知ってもらうことも大切な行動だと考えたマダム・エスカルゴーは、ブログで紹介することにしました。

1992年6月。ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ。環境と開発に関する国連会議(環境サミット)に集まった世界の指導者たちを前に、12歳の少女が伝説のスピーチを始めた。

 こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
全文を読む
posted by マダム・エスカルゴ at 09:05 | パリ | Comment(6) | フランスから世界を見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月12日

フランスに亡命したチェチェン人親子

map01.jpg

マダム・エスカルゴーは、最近、ここ南仏でチェチェン人のマダムKと知り合いました。
マダムKは、現在45才で、家族とフランスに亡命して、2年半になります。

最近、マダムKから、フランスに亡命するにいたった事情を聞き、世界情勢に対する自分の無知を思い知らされました。マダム・エスカルゴーは、チェチェンで何が起こっているかなんて、ちっとも知らなかったのですよー。恥ずかしい(^^ゞ

マダムKのお話を聞いて、遠い過去の恐ろしい時代のこととして忘れていた広島の原爆ドームで見たことや、日本人の戦争体験者のお話が、今、ここ南仏でよみがえって来ました。

マダムKの体験された悲惨な戦争は、60年余り前の太平洋戦争があった頃のことではなくて、なんと今、21世紀に、フランスからそう遠くない国で起こっているのですから。。ショックでした。

そして、マダムKのお話をブログに書くことによって、多くのひとに、チェチェンでいったい何が起こったのか、起こっているのか、お伝えできたらいいなと思っています。

チェチェンの状況を手短にいうと、
小さいながらも資源が豊かで平和で、独立して暮らしたい国が、ロシアという貪欲な野獣に食い物にされていて、ズタズタになっている!

世界中のひとがそれを見て止めろと言っているのに、野獣は平気で続けている。


それで、過激になった一部のチェチェン人がロシアに反撃しているが
野獣の残虐性を煽っているだけで、たちまちのうちに反逆者は食い殺されてしまう。そんなところです。

まず、チェチェンという国の名前は、ベスラン学校事件やモスクワの劇場占拠事件などで、なんとなく聞いたことがあっても、いったいどこにあるのかわからないひとが多いと思います。マダム・エスカルゴーもよく知りませんでした。

上の地図を見てください。カスピ海のそばにあるとても小さな国です。

面積は、日本でいえば、四国4県をあわせたほどだそうです。人口は80万人くらいで、そのうち半分は難民として国外に逃れています。戦争前は100万人。公用語は、ロシア語とチェチェン語。
宗教は、イスラム教。女性は、スカーフで髪をおおっていません。

マダムK夫妻と息子3人(当時8才、12才、15才)は、2002年の春、ウクライナ人運転の大型トラックのコンテナの荷物の中に隠れて、4日間かかって、南フランスのニーム(Nime)に到着。トラックの運転手に大金を払って、ほとんど何ももたず、チェチェンから命からがら亡命してきました。

マダムKには、もうひとり娘がいて、当時20才、すでに結婚して乳飲み子がいたため、置いて来たそうです。

とにかく、あのまま、チェチェンにいたら、親子5人、飢え死にするかもしれなかったし、国が荒廃してしまって、子供たちのことを考えるといたたまれなくなり、生きるため、意を決して、亡命したとのことでした。

ニームに着くと、親切なフランス人女性が食べ物をわけてくれたそうです。

マダムKも家族も当時はフランス語を全く話さなかったのですが、フランスの警察に行き、なんとか事情を説明。

警察から、マルセイユの難民収容所に連絡があり、翌日、難民収容所のひとと電車で、マルセイユに行き、そこで、フランスでの新しい人生が始まった!ということでした。

爆撃で、家々はすべて破壊され、食べ物も、飲み水さえなく、1週間冷たい地べたで、マダムKの家族は、生き残った近所のひとと、眠ったそうです。

ある時、空襲が始まって、地下の防空壕に近所の女性と子供たちと隠れていた時、ひとりの妊婦さんが突然産気づいたそうです。

夜で、明かりもなく、真っ暗。水もない。ベッドも何もない。医者もいない。爆撃の音が鳴り響く。恐怖ですくむ。爆弾の音が近づいて来たので、みんなその防空壕から逃げ出し始めました。

マダムKも逃げ出そうとしていたのですが、動けなくなったその女性に懇願されて、残ることにしました。マダムKは、4人の子供を産んだ経験から、その女性のそばにいて、出産を助けることにしたのです。

マダムKは、その女性に「息を吐いて、力んで!」と言って励まし続け、なんと男の子が2人=双子が生まれたんだそうです。

でも、へその緒を切るハサミもありませんでした。
それで、仕方がないので、マダムKは、自分の素手で赤ん坊のへその緒を引きちぎったそうです。そして、双子をくるむ布もなにもなかったので、
自分が着ていた上着を脱いでそれにくるんだそうです。

その双子の男の子も母親も、現在もチェチェンにいて無事で、男の子は、大きくなっているそうです。

爆撃であまりにも多くのひとが殺されて死ぬ毎日。マダムKは、死んだ人を見るたびに泣いていましたが、あまりに毎日のことなので、次第に無感覚になってしまって、ただ無表情に、遺体を埋める作業を手伝うようになってしまったそうです。

最大15人のひとが一度に亡くなって、埋めたことがあるそうです。

今でも、時々、爆撃の音が聞こえて来て、恐怖がよみがえってくることがあるということです。

マダムKのご主人は、ロシアの歯科大学を出た優秀な歯科医でした。でもフランスでは、ロシアの資格は使えないので、今は、車の修理工として働いています。

3人の息子は、下2人が学校に行っていて、長男は、調理師になってレストランで働いているそうです。3人の子供は、フランス語はペラペラ。そのほかに、ロシア語、チェチェン語、ウクライナ語も堪能とのこと。

彼女の今の願いは、1日も早く、親子5人全員フランス国籍を取って、フランスのパスポートで、チェチェンに一時帰国し、娘と孫に会うこと。

その願いは、早ければ、来春早々にも実現できそうとのことでした。

マダムKによると、チェチェンには、最近ようやく平和が訪れかけているということです。

でも、食料を含めた物資は相変わらず不足しているそう。なので、マダムKは、今まで何度も家族や親戚に頼まれて、フランスから、めちゃくちゃ高い書留郵送料を払って、いろいろなものを送ったそうです。

でも、その荷物が着くと、親戚中で奪い合いが始まるそうで、最近、娘から、荷物の奪い合いで、親戚の仲が悪くなったので、送らないように言われたとのこと。

マダムKは、フランスで暮らし始めてしばらくして、激しい腹痛に襲われて、なんと3回も腹部の大手術をしたそうです。

長い間の恐怖、悲しみ、激しいストレスなどの感情が体内に隠れていて、ほっとした頃に、腹部に痛みとなって出てきたのでないかと
マダム・エスカルゴーは感じました。

戦争という過酷で悲惨な経験を通してマダムKが得たもの、一番大事なことは、平和!平和!平和なくして家族の幸せはない!お金なんて、何にもならない!
チェチェンにいた時は、お金があっても食べ物がなくて買えなかったから。

※マダムKいわく、チェチェンの人たちは、早く石油を取り尽くしてしまえばいいと思っている。石油がなくなれば、今、石油に群っている貪欲(どんよく)な国やひとたちは去って行く。そうすれば、チェチェンに、本当の平和な生活が訪れる。石油が量的に限られた資源であってよかったわ。石油なくても暮らしていけるんだから。

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Khassan_Baiev.jpg

ところで、11月16日から30日まで
チェチェン人外科医「戦場の医師ハッサン・バイエフ氏」が来日され
東京、水戸、横浜、札幌、長崎、広島、京都、弘前で講演が行われることになっています。

詳しくは、

わたしのブログ「戦場の医師ハッサン・バイエフ氏」来日講演会および、
「ハッサン・バイエフを呼ぶ会」のWebサイトを見てください。

ハッサン・バイエフ氏略歴
(1963−)外科医、柔道家。チェチェンの首都グロズヌイ郊外、アルハン・カラ生まれ。
1977年ソ連邦ジュニア柔道大会で優勝し、以後多くの柔道大会にて金メダルを獲得。
1985年クラスノヤルスク医科大学卒業。
1988年チェチェンに帰国し、首都グロズヌイにて形成外科医として医務につく。
1994年ロシア−チェチェン戦争の勃発とともに、野戦外科医として活躍。
敵味方を区別しない医療活動のために、ロシア連邦軍とチェチェン過激派双方から命を狙われる。
2000年米国へ亡命、
同年11月米国NGOヒューマンライツ・ウォッチから「2000年人権監視者」の栄誉を受ける。
著書に「誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語」(2004年)アスペクト刊がある。

誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語

この本の中には、ロシアの兵士がチェチェンで何をしているかの真実が書かれているそうです。
この本を読まれた学生クマさんのブログによると
「中でも酷いのは犯罪者を戦闘員にしている傭兵と呼ばれる人間です。
彼らのチェチェンでの行動は目を覆うばかりの残虐性に満ちたものばかり・・
・チェチェン人の赤ん坊をボールのように蹴りまわして空中で撃ち殺した。
・旦那の目の前で嫁や妹を集団でレイプした。
・病人が車に乗っていて一刻を争う事態でも金を渡さなければ検問を通さない。
・火事場泥棒よろしく他人の家から物を持ち去り、そこかしこに糞尿垂れ流す。
・ウォッカを出さなければ撃ち殺す」

マダムK一家が亡命したのもうなづけます。
もし、わたしがこんな状況にいたら、わたしも自分と家族のため、
どんなことをしても亡命していると思います。

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●歴史
ソ連邦崩壊後の1991年11月、チェチェン大統領ジョハル・ドゥダエフは
ロシアからの「独立」を宣言した。

ロシア連邦政府はチェチェンの離脱を拒絶し、1994年12月にロシア大統領(当時)ボリス・エリツィンはチェチェン独立を阻止するため4万の軍隊を派遣し、10万人の死者を出した第一次チェチェン紛争に突入。

1995年2月にロシア軍、チェチェンの首都グロズヌイを制圧。
1996年8月にエリツィンとチェチェンの武装勢力のリーダーの間で停戦合意。
1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され、五年間の停戦が定められた。
1999年8月7日「大イスラム教国建設」を掲げるチェチェン側武装勢力は、
和平協定を破り突如隣国のダゲスタン共和国へ侵攻。
同時期にモスクワではアパート爆破などの大規模なテロが発生。
停戦無効になる。
1999年9月、ロシア連邦軍がチェチェンへ進撃。紛争再開 ⇒第二次チェチェン紛争
ゲリラ化したチェチェン独立派は、モスクワ等で爆弾事件、占拠事件などを頻発に起こし紛争は泥沼化。

独立派"大統領"であったアスラン・マスハドフ、その後任であったアブドル・ハリム、
過激派指導者シャミル・バサエフ等、独立派の主要人物が軒並みロシア治安当局によって殺害される。
2003年10月の大統領選挙で初当選したアフマド・カディロフは、
2004年5月9日、独立派のテロにより暗殺された。
(カディロフは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が立てた指導者)
2004年8月大統領選挙が行われ、アル・アルハノフ(47)が当選した。
2005年3月、アスラン・マスハドフは、ロシア軍特殊部隊に暗殺された。
マスハドフ側がどんなに和平を呼びかけても、プーチン政権は応じようとせず、暗殺。

94年以来、10年以上つづいているこの戦争の死者は20万人以上で、その多くは民間人

●ロシア軍がチェチェンでやっていることは、ジェノサイト
(1つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為)

ロシア側が「テロリストを匿っている」と判断した村落を包囲し、
住民のうち10歳から60歳代にいたる男性をすべて拘束して尋問を加え、
場合によっては逮捕者の多数を殺害するというもの。

ロシア連邦は、なぜそこまでやるのか
チェチェンで原油が産出される。
カスピ海のバクー油田からのパイプラインが領内を抜けている。
そのため、チェチェンを自国のコントロール下に置きたい。

マダムKや彼女の周りのチェチェンの多くの市民は、原油が発見されて、
奪い合いのために、戦争が始まったと言っています。

その他には、ロシアの政治的理由。
第一次チェチェン戦争は、エリツィン大統領再選のために必要であった。
第二次チェチェン戦争は、エリツィン大統領が選んだ ウラジーミル・プーチン現首相
世論調査で順位を上げるために必要とされた。

ロシアの軍部・情報機関を中心とする政治勢力の懐(ふところ)を潤わせるため。
彼らの名=「シラビキ」(力の人々=武闘派)」という。
シラビキの利益は、チェチェン戦争参加による、戦争および復興予算の着服、
現地での違法な石油密売への関与、チェチェン独立派への武器の横流し、
現地住民の拘束と金銭による釈放(=営利誘拐)。

チェチェン総合情報 chechennews.org

チェチェンで何が起こっているのか

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ここまで、読んでくださったあなた、ありがとうございました。
チェチェンで何が起こったかわかっていただけたらうれしいです。
21世紀の今は、地球はひとつですから、遠く離れた国で起こっていること!
では、すまなくなっています。
どこかの国の痛みは、自国の痛み。
どこかの国のひとの痛みは、わたしやあなたの痛みです。

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posted by マダム・エスカルゴ at 05:11 | パリ ☁ | フランスから世界を見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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