2006年11月27日

グレゴリー・クーペ チンパンジーの守護神になる!

Gregory Coupet.bmpグレゴリー・クーペ(グレゴリー・クペ)Grégory Coupetは、
サッカーの守護神=ゴールキーパーだけではなくて、
チンパンジーの守護神でもあります。

グレゴリー・クーペというフランス人サッカー選手をご存知ですか。
わりとかっこいいです!(^^)!
グレゴリー・クーペは、ワールドカップ・フランス代表ゴールキーパー。
1972年12月31日生まれの33才。身長181センチ、体重80キロ。
出生地は、ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)所属サッカーチームは、オリンピック・リオネ。

グレゴリー・クーペは、ゴールキーパーとしてもかっこいいけど、
フランスの子供用のテレビコマーシャルにも出ていて、
密かにお気に入りにいれていたマダム・エスカルゴーです!(^^)!

今回、動物が大好きということで、この資金集めに参加した
グレゴリー・クーペ、ますますファンに!!!⇒海外ブログキング
>>>続きを読む>>>
posted by マダム・エスカルゴ at 23:49 | パリ ☀ | フランス・セレブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

超セクシー注目!フランス・ナディアの“ロック”

Nadiya.jpg

ナディア(Nadiya)の“ロック(Roc)”という曲最高!
めっちゃ、元気が出る曲です(^_-)-☆

今一番、のっているフランスの女性歌手かもしれません!
なんせ、セクシー!

nadyii.jpg

Nadiya(本名Nadia Zighem)両親はアルジェリア系移民で、
Nadiyaを含めて7人の子持ち。
Nadiyaは、1973年6月19日ツール(Tour)生まれ。
16才の時、陸上競技800メートル走でフランス・ナンバーワンになる。

その後、20才の時、歌手を目指してパリに移り住む。
「Graine de Star グレーヌ・ドゥ・スター(スターの種)」
という番組に参加(1996年23才)、
続いて初シングルを発表するが、パッとせず、出産&子育てに専念。

2000年代初めに再度シングルを発表したが、ヒットしなかった。
そして、ついに2004年半ば過ぎ「Parle Moi パルル・モワ」(私に話して)がヒット!

nadiya%203.jpg

この曲は、「様々な虐待を受けても誰にも打ち明けられない女性のために
勇気を促す意図で作ったとのこと。ただのアイドル歌手ではない。

Nadiya 最新アルバム

テレビのニュースで観たんだけど、フランスでは、
10人に1人が夫から暴力を受けた体験があり(調査会社による数字)
月に6人の女性が夫の暴力に命を奪われているそうです。
(フランスだけではなく、イギリスもです。世界中でってことです。)

怖い現実があるんですよ。

男性のみなさん、暴力はいけません!
(時には、女性も!)← 笑 かよわい男性をいじめてはいけません!
いるんですよ、たまに、暴力妻!

暴力夫というのは、教育がない粗野な男とは限らないそうです。
インテリから肉体労働者まで、あらゆる階層に潜んでいるそうです。
それも家庭が不幸だった男が暴力夫になるわけでもないのだそうです。

だから、フランス人男性と結婚するひとは気をつけてくださいね。
フランス人男性だけではないけどね。。

恋に落ちて、パッと結婚しないで、
1年くらいは、一緒に暮らして、観察することが重要です(^_-)

フランスでは、PACS法(準結婚法)が、外国人に対しても適用されるので、
正式に結婚しなくても、滞在許可証がでます。

マダム・エスカルゴーの夫Mちゃんは、暴力夫とは、ほど遠いやさしい人です。
もち、マダム・エスカルゴーも観察期間を置きました。
合格!→ → → → → → → → → 結婚!

花嫁修行に 合気道!護身術!など、
暴力夫をのさばらせないためいいかもしれません(^_-)

なんか、話がそれてしまいました。

Rocここから視聴できます。

Webnadiya  

ナディア・オフィシャルサイト

YouTube - Nadiya

nadiya%201.jpg


目指せ、20位以内です(^_-)-☆
人気blogランキングへ ←クリックお願いします♪ ありがとう!(^^)! 

posted by マダム・エスカルゴ at 22:07 | パリ | フランス・セレブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

アンヌ・ドートリッシュ〜太陽王ルイ14世の母

Anne d'Autricheアンヌ・ドートリッシュ

アンヌ・ドートリッシュ Anne d'Autriche (1601-1666)、このかたは、フランス人ではなくて、スペインのハプスブルク家の出身です。

フランスに嫁いで来られたので、スペイン語式の呼び方、アナ(Ana)ではなく、フランス式にアンヌ(Anne)と呼ばれていました。

ヨーロッパ一の美貌と優雅さをもった王妃といわれたひとです。
フランスにチョコレートをもたらしたひとでもあります。

14歳で同じ年のルイ13世に嫁ぎます(1615年11月25日)。
ルイ13世の女性に対する根深い嫌悪感(特に美女に対して)や母后=マリー・ド・メディシス、宰相リシュリューとの不遇でつらい結婚生活を送ります。

王妃アンヌ・ドートリッシュの真の偉大さは、こうした不遇に耐えたことです。

Louis13 ルイ13世

夫に嫌われ、避けられていたという理由のほかに、2度の流産をしますが、37歳のときに待望の世継ぎ、ルイ14世を出産。5年後にルイ13世が亡くなると、ルイ14世の摂政となります。マザラン枢機卿を登用し国事にあたらせました。

摂政アンヌは、息子ルイ14世をできるだけ自分の部屋で育ようとしました。これは、王族としては、珍しいことです。

摂政アンヌは、スペイン・ハプスブルグ家の宮廷で当時のヨーロッパで最も儀式を尊ぶ王女教育を受けていました。ルイ14世に完璧な礼儀作法、威厳、優雅さ、趣味の良さ、宮廷の取りしきり方などを教えたのです。

母親として、息子に当時のヨーロッパでの最高の君主教育を施したということですね。

イングランド王チャールズ1世の重臣バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズの王妃アンヌに対する熱い、だけど報われなかった恋は、有名です。挙句のはてに、バッキンガム公が率いたイングランド軍がラ・ロシェルの戦いでフランス軍に惨敗すると、見方であるイングランド軍から暗殺されてしまいます(1627年)。
 ↑↑↑
かわいそうすぎる!!!(・_・)

摂政アンヌと宰相マザランは、最初のうちは、愛情関係はありませんでしたが、後に、密かに結婚していたと言われるほどの親密な関係になります。その関係は、マザランの死(1661年)までの18年間続きます。

※マザランは、フランスに帰化したイタリア人。

この二人は、協力して、フランスの大世紀と言われる時代の礎を築きました。激動の時代に、フランス国王の座を守り抜いただけではなく、フランス王国の領土を広げ、次の国王ルイ14世に引継いだのです。

1666年1月20日、アンヌは乳がんで亡くなります。64才。

ルイ14世は母后のベッドの足元に布団をしいて着のみ着のままで、幾晩も看病されたそうです ←ウルウル(T_T)

やっぱり手塩にかけて育てた息子は、違いますねぇ(^^)

Louis14 太陽王ルイ14世.jpg

「この方は我が国における最も偉大な王妃の中に数えられるに値します」と側近の者が言うと、「いや、王妃アンヌは、我が国の偉大な王と並び称される」とルイ14世は、訂正され、絶賛されました。


ブログランキング ← 応援クリックお願いします!ポチリ!
posted by マダム・エスカルゴ at 20:07 | パリ ☁ | Comment(0) | フランス・セレブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
#container{ margin:0px auto 0px auto; width:800px; font-size:12px; }
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。