アンヌ・ドートリッシュ Anne d'Autriche (1601-1666)、このかたは、フランス人ではなくて、スペインのハプスブルク家の出身です。
フランスに嫁いで来られたので、スペイン語式の呼び方、アナ(Ana)ではなく、フランス式にアンヌ(Anne)と呼ばれていました。
ヨーロッパ一の美貌と優雅さをもった王妃といわれたひとです。
フランスにチョコレートをもたらしたひとでもあります。
14歳で同じ年のルイ13世に嫁ぎます(1615年11月25日)。
ルイ13世の女性に対する根深い嫌悪感(特に美女に対して)や母后=マリー・ド・メディシス、宰相リシュリューとの不遇でつらい結婚生活を送ります。
王妃アンヌ・ドートリッシュの真の偉大さは、こうした不遇に耐えたことです。
夫に嫌われ、避けられていたという理由のほかに、2度の流産をしますが、37歳のときに待望の世継ぎ、ルイ14世を出産。5年後にルイ13世が亡くなると、ルイ14世の摂政となります。マザラン枢機卿を登用し国事にあたらせました。
摂政アンヌは、息子ルイ14世をできるだけ自分の部屋で育ようとしました。これは、王族としては、珍しいことです。
摂政アンヌは、スペイン・ハプスブルグ家の宮廷で当時のヨーロッパで最も儀式を尊ぶ王女教育を受けていました。ルイ14世に完璧な礼儀作法、威厳、優雅さ、趣味の良さ、宮廷の取りしきり方などを教えたのです。
母親として、息子に当時のヨーロッパでの最高の君主教育を施したということですね。
イングランド王チャールズ1世の重臣バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズの王妃アンヌに対する熱い、だけど報われなかった恋は、有名です。挙句のはてに、バッキンガム公が率いたイングランド軍がラ・ロシェルの戦いでフランス軍に惨敗すると、見方であるイングランド軍から暗殺されてしまいます(1627年)。
↑↑↑
かわいそうすぎる!!!(・_・)
摂政アンヌと宰相マザランは、最初のうちは、愛情関係はありませんでしたが、後に、密かに結婚していたと言われるほどの親密な関係になります。その関係は、マザランの死(1661年)までの18年間続きます。
※マザランは、フランスに帰化したイタリア人。
この二人は、協力して、フランスの大世紀と言われる時代の礎を築きました。激動の時代に、フランス国王の座を守り抜いただけではなく、フランス王国の領土を広げ、次の国王ルイ14世に引継いだのです。
1666年1月20日、アンヌは乳がんで亡くなります。64才。
ルイ14世は母后のベッドの足元に布団をしいて着のみ着のままで、幾晩も看病されたそうです ←ウルウル(T_T)
やっぱり手塩にかけて育てた息子は、違いますねぇ(^^)
「この方は我が国における最も偉大な王妃の中に数えられるに値します」と側近の者が言うと、「いや、王妃アンヌは、我が国の偉大な王と並び称される」とルイ14世は、訂正され、絶賛されました。
ブログランキング ← 応援クリックお願いします!ポチリ!
【フランス・セレブの最新記事】


