RER(Saint-Germain-en-Laye)の駅を出たら目の前にそびえているサン・ジェルマン・アン・レイ城。大きくてりっぱな城ですよ。
そもそも、最初の城がこの地にできたのは1122年ルイ4世の時代でした。その後ルイ11世によって1230年代に拡張されました。城の中には、ルイ11世のためのサン・ルイ礼拝堂(ゴシック建築)があります。

1346年、城はイングランドのエドワード黒太子に跡形もなく焼き払われますが、ゴシック建築のサン・ルイ礼拝堂は免れます。1360年代にフランス王シャルル5世により同じ場所に城が再建されます。
1539年、フランソワ1世により城の改築が行なわれます。サン・ジェルマン・アン・レイ城で生まれたフランソワ1世の息子アンリ2世(1519−1559)は、新しい城(Chateau-Neuf de Saint-Germain-en-Laye シャトー・ヌフ)をすぐそばに建てます。

1638年、太陽王ルイ14世がサン・ジェルマン・アン・レイ城で生まれます。父はルイ13世。母は
王妃アンヌ・ドートリッシュです。
ルイ14世が好んだのは、新しい城(シャトー・ヌフ)ではなく、古い城(シャトー・ヴュー)のほうでした。ルイ14世は、シャトー・ヌフを捨てたので、1660年代に解体されました。残っていなくて残念です。
ルイ14世はヴェルサイユ宮殿に移るまでサン・ジェルマン・アン・レイ城に住んでいました。
イングランド王ジェームズ2世がカトリック教徒であったことから名誉革命が起き、ジェームズ2世は王位を追われ、フランスに亡命しました。ルイ14世の好意でサン・ジェルマン・アン・レイ城を譲られ(1688年)、没するまでの13年間をこの城で過ごしました(67才)。遺体はそばのサン・ジェルマン教会に埋葬されています。娘のルイザ・マリア・テレザ・スチュアートはこの城で生まれましたが、この城で19歳で亡くなり、パリの聖ベネディクト教会に埋葬されています。ジェームス2世の子孫たちは、フランス革命の時までこの城に住み、1793年に城を去りました。

19世紀に入ると、ナポレオン1世がこの城に騎馬隊将校訓練校を設置します。1862年、ナポレオン3世は、城の修復をし、1867年城は「国立古代遺物博物館 Musée des Antiquités Nationales 」になります。
1919年9月10日、サン・ジェルマン・アン・レイ条約(サン・ジェルマン条約)がこの城で結ばれました。サン・ジェルマン・アン・レイ条約とは、第一次世界大戦の終結後、連合国側とオーストリアの間で結ばれた条約です。
1940年から1944年、ドイツ軍によるフランス支配下では、サン・ジェルマン・アン・レイ城にドイツ軍司令部が置かれました。
2005年博物館は「国立考古学博物館 Musée d'Archéologie Nationale」と名前を変え、旧石器時代(200万年前)からメロヴィング朝(481年 - 751年)までの遺物が展示されています。メロヴィング朝とは、フランク族(西ゲルマン人)が築いたフランク王国の最初の王朝のことです。
posted by エスカルゴ at 06:14| パリ

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パリ郊外
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